日本国民の九割が、中流意識を持っているということは、じぶんが今の日本の中心部を占めていると思って、格別生活を変えなくてもいいと思っている人が九割いると言い換えることができる。

つまり、改革などは何もしなくていい、政治家は強いて何もしなくていいということである。

いろんな不満はあっても、今のままで結構ですよという大勢が、九割以上あるということである。

政治のプロとしての経験が必要だというのが一般的だが、経験がなくても二世、三世の政治家というのはいる。この場合は、親から、地盤、看板、お金の流れであるカバンを引き継ぐ。政治家の経験ということにも重なる面もあるが、お金を集めてくる力というのが、大きくものをいう、それが今の政治家の条件である。

誰でも政治家になれる、そうなれば、そんな経験もお金も必要でない。

政治家など、嫌々仕方なしにやるように変わる、甘い汁が入ってこない、そういう流れになって、一般化していけば、誰でも可能である。

つまり、ゴミ当番と同じ。

公金で、じぶんの懐を温めるなんて、けしからんからすぐに辞めさせる、排除すべきである。

地位を利用した特権などなく、仕方なしにやるのが本当の責任者。

今はまだまだ、経験やお金が条件となるが、だんだんと誰でも政治家になれるようになる。

普通の人が、政治の担当者になれば、特権的な意識は今よりも、ずっと無効になることが証明される。

日本国民の九割以上の人が、今のままで経済生活はいいというのだから、後は何をするのか?その問題だけを突っ込んでやればいい、それが現状の体制にふさわしい九割の人にできる政治である。

政治家が誰でもいいですよとなったら、少なくとも条件だけは、今よりはいい社会ではないかといえる。

あとは、誰がなるかというパーソナルの問題。誰がなるにしても誰でもなれるのだから、今よりはいいだろうし、自由である。