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真贋 PART 2

老人というのは、人間の中の動物性が極限まで小さくなった、より人間らしい人間であって、それは老人が本来評価されるべき点である。
身ぎれいにして、見た目を意識すること。それが本当に必要なのは、実は年をとってから。
利害関係を第一に考えるのはやめたほうがいい。まったくゼロにすることは無理にしても、自分の判断力の中に、何気なく含めるというぐらいの気持ちで加えるようにするのが、いい人格のつくり方。
どんなことをやっている人でも、何かをやれば必ずそのものを価値化することになる。それと同時に、自分のほうは動物化、有機的人間化している。
その人の性格を決める、特に重要な期間が二つある。一つは乳児期、もう一つの時期は、前思春期に近い、十代の半ばぐらいのところ。
乳幼児期から前死思春期までの過程における母親の存在は重要。
西欧流では、生まれたばかりの赤ちゃんを、母親から離したほうがいいという考え方をする。それは早いうちから親から離したほうが、自立心が養えて甘えのない人間に育つということ。
日本の場合は、親が添い寝してしょっちゅう皮膚接触しているような育て方をしているので、日本人は甘えが強いと言われる。
大体人間は死ぬ間際まで、思い起こすのは母親のこと。
正面切って向き合って、怒るときは怒り、かわいがるときはかわいがる。
コンプレックスは生きるテーマになる。
生まれつきの性格の問題は、自分と問答する中で解決するしかない。解決しなくても、自問自答する中でそれは徐々に解消させることができて、人間関係については、その意識的に変えた部分でつきあうことができる。
人間として大切なことを考えたり、それを実現するために自分の行動の仕方を変えたりする意識が重要。
大切なことはその都度変わっていく。だから何が人生で重要だというふうに言われたら、大切なものと現状の自分との距離について考えていくこと。
その時代時代で、みんなが重要だと思っていることを少し自分のほうに引き寄せてみたときに、自分に足りないものがあって行き得なかったり、行こうと思えば行けるのに気持ちがどうしても乗らなかったりする、その理由を考えること。
世の中、理想の自分と現実の自分が違うことがほとんど。誰しもが葛藤を抱え生きているもの。
倫理や健康が極端に走るとき、とてつもない事態まで進んでしまう。
戦争には正義の戦争と不正義の戦争があるというような考え方、あるいは、善玉、悪玉があるという考え方はまったく嘘だということ。
すべてが逆な方向へと進んでいる。
社会的規模で武士道や男気が大切にされれば、道徳は回復するだろうというのは、もっともな意見。しかし、そんなことが簡単にできるくらいなら苦労しない。日本の社会は、すでによくなっているはずです。それができないのはなぜかと言えば、時代の発達のスピードが速すぎて、もはや、武士道や男気で何とかするというやり方では間に合わないほど、現状が進んでしまった。
いまの状況をどこで超えるか、ここだったら全体的に超えられるということを考えて見つけてやる以外にない。
欲望がすべて満たされたら満たされたで、人間はまた悩み始めているかもしれない。
現代は人類がかつて体験したことのないまったく新しい状態まできている。
よさそうでかつ害のなさそうなことをやる、小規模でもやっていくということ以外にこの新しい時代に対処する方法はない。
一つはっきり言えるのは、いいことをいいと言ったところで無駄だということ。
いいか悪いかではなく、考え方の筋道を深く追わなければ、問題の本質が見えてこない。
何はともあれ、いまは考えなければならない時代。考えなければどうしようもないところまで人間がきてしまったというは確か。人間としてというのは善も悪もやり尽くさない限り新しい価値観を生むことができないのかもしれない。いま、行き着くところまできたからこそ、人間とは何かということをもっと根源的に考えてみる必要がある。

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